今日は、友人とお米の話をしていました。 色々と考えを巡らせることでしたので、ちょっとばかりシェアをさせていただきます。 みなさんも減反政策というお話を耳にしたことがある思います。
要は、おコメの生産を減らして、おコメの値段が下落するのを避ける政策です。
現在は、減反という言葉はなくなっていますが、政策の一環として
生産調整という形で残っています。強制的なものではありませんが、飼料米などの形で食用米の生産を調整しています

その概要に対して、友人から

 お米の値段が下がったから、なんとかお米の需要が残っているのではないか?
 20年前に比べて、確かに米価は下落している。
 もし、20年前と同じ価格だった場合には、もっともっとおコメの消費は減っていたのではないか?

という問いがありました。
それに対して僕は、

 そうではないのではないか?
 そもそも現在は、家族の形が変わり、自炊をする人たちが減っている。
 一人暮らしの大学生なら、炊飯器や鍋などを買うお金がないため、自炊をしていない。
 でも、一方で中食でのコメ消費は増えている。
 だから、価格による問題よりも、核家族化による炊事環境の変化が大きいのでは無いか?

 ※自炊が選択肢から外れていることを指した。
  でも、振り返ると確かに米価が下落していなかったら、需要がもっと減っていた可能性はある。
  と今は思っています。


という言葉を発していましたが、一方で彼の指摘した視点は面白いなと思えました。
確かに、主食とはいえ現在はパンなど小麦の消費量が増えており、お米の需要が減り続けているのは事実。
僕は、米よりパンや麺の方が単価が高いために、より安い食料に流れたということではないと思っていました。高齢化がお米の消費に影響していることがありますが、一方で核家族化によるコメ消費の変化は、お米を食べられるようにする手間のコストが大きいのかもしれないと今は考えています。

なら、手間というコストを補う為にコメはもっと安くなるべきなのか?

たとえば、彼の指摘するように生産調整を廃し市場にすべて任せたときにどうなるのか?

現在、水稲農家の方々は60代以上の方が中心になっています。
年金受給者である方々が多く、生業として行っているよりも、営々と続けてきた稲作を使命感で行っているケースが多いのではないかと思います。
そのため、生業として行っている方との間では、コストに対する意識にかなりのズレが存在しています。

現在の平均的な水稲農家の作付規模は1ha。
多くの農家が生業で行っている規模とは言えないのが実情です。
水稲生産だけで食べていくには最低でも10haの規模が必要と言われていますので、大きなズレがそこには存在しています。

そして、基本的にそのズレの上に市場が存在しているといえます。

ですが、営農のメインプレイヤーである高齢者から、その下の世代へ営農のバトンが渡っているとはいいがたいのが現状です。
そうであるのならば、このズレのある市場を維持することは、早晩難しくなると思われます。

であれば、現時点で市場による需給調整機能に完全に依存すると、生業で稲作をしている農家が退出していく可能性が高いといえるでしょう。
そうではないかもしれないですが、その可能性が大きく存在します。

そして、時が進み供給サイド(農家)の退出者が続出した際に、残念ながら新規参入が簡単には行えません。
荒れた水田は元に戻るには時間がかかりますし、多くの資本(高額のトラクターや多くの圃場)が必要になります。

それはつまり、主食であるおコメの供給が悪化するということでしょう。

その際に、海外から米であったり小麦であったり穀物を輸入することにしたとしても、それも簡単には行えなえないでしょう。北欧の小国であればいざ知らず、日本は1億人も暮らしていて人口が多すぎるんです。
現在、アジアの国々が豊かになり、穀物の消費量が多くなっています。
それはつまり、世界の食糧需給のバランスは消費が多くなっているといえます。
そして、各国が豊かになっているということは、日本にとって安い価格で食料を確保できるのかは不透明ということです。

だからこそ、日本は自国での供給を維持する必要があるといえます。

それらのことが相まって、生産調整が存在しているのだと思います。
しかし、使命感で営農している方々がリタイヤしたときには、大きく供給が崩れる可能性があります。
その時は、生産調整もなくなるのではないでしょうか。



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